ex JA4BBH が発行したQSLカードの歴史(1)
開局当初から発行してきた ex JA4BBH のQSLカードがサンプルとして残してありましたのでご覧いただきます。
ex JA4BBH とQSOして頂いた方は、どのカードをお持ちでしょうか?
No.1
開局したばかりの頃の月給は税引き前で\8,350。税引き後は\7,000くらい。
間借りしていた部屋は、4畳半で\4,500。
食費は、会社の食堂で3食利用で\1,800。
これに、銭湯代なども必要でした。
なにしろ貧乏生活を続けていましたので、QSLカードの印刷をする余裕などは無く、JARLの規格カードを使用し、コールサインは手書きしていました。
No.2
少しは金銭的に余裕があった時、QSLカードの印刷をしました。
JA4LK局の印刷店へ依頼。
ガリ版印刷(謄写版印刷)でした。
No.3
謄写版を借りて、自作してみました。
少しでも色気を付けようと思って、カラーの用紙を使用してみました。
No.4
1962年の、「第3回柳井産業祭(柳井市)」で、柳井クラブが公開実験を行った時の記念QSLカードです。
No.5
1963年の、「第18回国民体育大会 柳井卓球会場」で実施した公開実験の記念QSLカードです。
No.6
謄写版印刷の手作りQSLカードです。
No.7
1964年の東京オリンピックの開催の前に、PRのためにJARLが発売したQSLカードに自分のコールサインを追記して使用しました。
No.8
本式の印刷のQSLカードです。
この頃からはQSLカードを専門に印刷するところが現れ、何種類の中から選んでいたと思います。
No.9 ~ No.11
EXPO’70 大阪万博の開催を前に、PRのためにJARLから発売されたカードを使用しました。
コールサインはオプションで印刷してもらいました。
No.12
QSLカードの印刷では、オプションとして「コールサイン」、「QTH」、「QRA」の追加が選択できるようになっていました。
ありがとうございました
私たちが開局した頃は、殆どがジャンク品を集めての自作。メーカー品は高値の花でした。
物作りが好きな私にとっては、作ったりばらしたりしている時間のほうが楽しかったですが、自作したリグで、電波を少しでも遠くへ飛ばせないか、少しでも遠くの局が入ってこないかなど、楽しい毎日であったことを思い出しています。
交信して頂いた皆様、遠くのほうから取材にきて下さった月刊誌の編集者の方、機器の自作であれこれと教えて頂いた皆様、ありがとうございました。
Best 88 & 73 de ex JA4BBH